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Serenachan’s blog

音楽ジャンキー 

いまさらながら、永島聖羅の卒業を思い出して。

乃木坂46にはまったのは、「何度目の青空か」の時だった。

それまでは、私と同い年の子たちがあんなにキラキラ輝いているだなんて、知らなかった。それから私は、どっぷりと乃木坂の魅力にはまっていく。

 

それから約一年後、私はついに乃木坂のアンダーライブに行った。初めての乃木坂のライブだった。ちょうどクリスマスの時期で、クリスマスカードが配られたのをよく覚えている。そのときセンターを主に務めていたのは堀ちゃん、ひめたんだった。

 

そして何より、忘れられないこと。それは、あの黄色一面の武道館だ。

 

まさか、とは思った。ライブの最後のほう、アンダーのまとめ役的存在である永島聖羅が卒業を発表したのだ。黄色は彼女のイメージカラーであった。最後まで彼女らしく、メンバー思いのコメントをのこして彼女はステージを去った。

多くの人が「らりん、やめないで」と叫んでいた。多くの人ががっかりした顔をしていた。会場はしんみりとして、黄色くまばゆい光で包まれているのに、どこか物悲しい空気が曲と一緒に流れていた。私と一緒に行ったファンも、「らりんには辞めてほしくなかった」と、本気で残念がっていた。コンサートの後、私があまり悲しそうではないことに、少しいらだっていたほどだ。

 

誤解を恐れずに言おう。私にとって、卒業は全く悲しい出来事ではなかった。

きれいごとのように聞こえるが、卒業して幸せになって成功してほしい、これからを見てみたいという気持ち、期待でいっぱいだった。

 

彼女たちのような、キラキラ輝いている存在ではないにせよ、私も同じ時代を生きる同世代の女だ。どうしたって、彼女たちに自分を重ねてしまう。アイドル=偶像なのだから、当然といえば当然なのかもしれない。しかし、内向的でシャイで、でも頑固で…という乃木坂の多くのメンバーに見受けられる気質が私と似ていたからか、私はこのグループに人一倍自身を投影してしまうのだ。

この卒業も、例外ではなかった。彼女はずっとアンダーメンバーで、努力が報われていないように見えた。すっかり固定された選抜に、心砕かれ限界になった、というのもあると思う。しかし、紅白出場など、乃木坂というグループが軌道に乗り始めていたのも確実だった。それでも、彼女は卒業した。

環境を変えて彼女が好き勝手に気分よく、自分のやりたいことができるのならば、それが一番いい。いやむしろ、「自分のやりたいこと、向いていることは何なのか」を彼女自身が自分で認識できたことが喜ばしい。

正直、うらやましい。この世の中に、本当にやりたいことを選び取っている人はどれくらいいるのだろう。それをつかみ取れるかは別としても、自分が何を欲しているのかわからない人だってたくさんいるのだ。

私が、友達でもない、一アイドルの卒業を恣意的に解釈しているのは承知している。しかし、「卒業」という大きな決断をした彼女は、きっと自分が何をしたいか、その輪郭が見えてきたのだと私は思った。何かを確信して、アイドルたちは「卒業」していく。

 

私は卒業を悲しまない。しかし、彼女たちには絶対に幸せになってほしい。そうでないと、困る。私はもう彼女たちに自分を映し出してしまっているのだから。グループという成長場所を通して見つけた、自分がやりたいことを追いかけてほしい。誰かの指標でなくて、自分の物差しで測る幸せをつかむために。